(1)観光案内TZ1
紫陽花の時しか知らない雨引観音に桜を見に行った♪ 桜も有名だった 汗)
天気が良すぎて桜が白飛び気味ですが見てやってください!
雨引観音(雨引山楽法寺)・・・用明天皇2年(587年)梁の国人の法輪独守居士によって開かれた、厄除延命安産子育の霊験あらたかな延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を本尊佛としてまつる坂東観音霊場第二十四番札所の名刹。 「一に安産 二に子育よ、三に桜の楽法寺」と言われるほど桜も素晴らしいものでした♪
(2)薬井門1
薬井門・・・俗称「黒門」といいます。元は楽法寺の表門であり、麓の集落中央に位置していたものを移築したものです。 関ヶ原の戦(1600)以前は真壁城の城門であったものです。 現在桜川市指定文化財であり、平成11年に磴道入り口に移転修復しました。
(3)(4)薬井門2,3
磴道(とうどう)・・・薬井門から仁王門にいたる145段の大石段で、この石段は俗に「厄除けの石段」といい、一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、145段を登りつめた時、厄が落ちるといわれています。 文政4年(1821)より1年2ヶ月の歳月を費して完成した大石段です。 石段の両側には10種3000株のアジサイが植えられており、梅雨時には新緑に映えて咲き乱れます♪ → ☞梅雨時の大石段
(5)仁王門XP1
仁王門・・・建長6年(1254)宗尊親王の建立した門で、鎌倉時代の仏師康慶の彫刻した仁王尊を祠っています。 仁王尊は二躯であり、一体は阿の字一体は吽の字を示現すといい、力感溢れる 名彫刻です。
(6)(7)仁王門2,3
門の周囲の彫刻は、宝永(1704)年中無関堂円哲が彫刻したもので、豪壮華麗の彫刻は日光のそれと対比されます。 現在の建物は、天和2年(1628)十四世堯長が再建したものであり、茨城県指定文化財です。
(8)(9)多宝塔1,2
多宝塔・・・天平年中(730)聖武天皇の后、光明皇后の造建したものが始まりです。 天和3年(1683)当山十四世堯長が、三重塔を再建しようとして良材を集めて塔の第二重目まで建設したが、病のため果たせず、十五世堯宗は先師の遺命を奉じて翌 貞享元年正月、工事を進めて円成しました。 嘉永6年(1853)元盛暢光両師協力して十万人講を勧進して、三重塔を改め多宝塔としたのが現在の塔です。
(10)本堂(観音堂)1
本堂(観音堂)・・・創建当初の本堂については不詳でありますが、記録によれば建長6年(1254)宗尊親王深く当山観音を尊崇し、由緒ある仏堂が朽壊しているのを嘆かれ、 執権北条時頼に諭して当山本堂を再建せられたといわれ、工竣成して後三百貫文の封を賜ったと伝えられています。
(11)本堂(観音堂)2
文明6年(1474)真壁城主真壁久幹及び舎弟高幹の両名の合力によって五間四面の本堂が落成しました。 天和2年(1682)第十七世文昭は十万人講を勧進してその資金を得て、遂に現存の大本堂を建立するにいたりました。 外の彫刻は、江戸の人無関堂円哲の刻んだものです。
(12)(13)鐘楼堂1,2
鐘楼堂・・・45段の石段を登りながら右手を望めば、華麗な鐘楼堂を見ることが出来ます。 この建物は、建長6年(1254)宗尊親王の御願によって建立し、その後天和2年(1682)当山第14世堯長が再建したが、又大破したため文政13年(1830)第24世元盛が再度建立したものです。
(14)鐘楼堂1
昭和50年瓦葺きに葺き替えられたが、他は文政年中建設のままです。
明日は雨引観音の桜の風景をお送りする予定です♪
D3s+AF-S 24-70mm f/2.8G ED Xperia XZ3 SO-01L 2019.04.06 撮影 於:茨城 桜川 雨引観音(雨引山楽法寺)